the begin
川崎教会はこうして始まった
川崎教会は
1947年在日コリアン一世の
篤い信仰と祈りのなかから生まれました。
戦後の川崎南部の荒廃した衣食住もままならない日々でありました。工場から排出される煤煙による公害に加え、上下水道、電気などインフラも未整備ななかで肩を寄せ合いながらの生活を余議なくされてきました。そのような厳しい生活環境の中、東京教会が川崎伝道所を開拓し川崎教会が誕生しました。
バラック建ての信者宅で夕拝が守られ信仰と祈りが日々の苦しい生活を癒し励ましとなっていました。やがて今ある教会の土地が信者たちの汗の結晶の中で求められ小さな木造の教会が建てられました。在日コリアンに寄り添う宣教活動は社会制度の壁や、民族差別の現実により困難を極めましたが、困難の中にあっても教会の拠って立つところは主イエス・キリストの神の国の到来を約束する実り豊かな福音です。この福音を携え、それに仕える証として地域社会への奉仕活動への模索が始まりました」。
川崎教会は地域に根ざし小さくされた方々と共に生きる、福音宣教をめざし祈り、取り組んでいたと思います。これまで関わった主な歩みを抜粋しますと、「教会併設の桜本保育園開園(1969年)、『社会福祉法人青丘社』厚生省より法人認可(1973年)、『日立就職差別裁判』勝利感謝特別記念礼拝(1974年)、川崎教会及び各団体が連合し、川崎市に『児童手当の支給』『市営住宅の入居』を求めて交渉し、完全受け入れ実施の約束をとりつけたこと(1974年)、『韓国光クァンジュ州民衆抗争』犠牲者追悼祈祷会(1980年)、指紋押捺拒否者関東集会(1982年)、川崎市より青丘社に委託『川崎市ふれあい館』開館(1988年)、北朝鮮水害被災民救援の特別献金実施(1995年)、『川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例』(2019年)が制定」など、さまざまな取り組みと連帯の祈りがありました。また教会建築に伴い、これからも「社会福祉法人青丘社」と支え合う働きは、増し加えられる恵みであると思います。
李 仁夏先生の著書『歴史の狭間を生きる』のあとがきの中には、著書の題について書かれています。李 仁夏先生が考えた題は『歴史の狭間に生きる』でしたが、出版局の方からの提案があって、「に」を「を」に換えたようです。「『に』では歴史の狭間で翻弄される受け身の自分でしかない。(中略)『歴史の狭間を生きる』で、私の主体性がポジティブに表現されるのではないか。(中略)私の主体が和解の福音によって生かされていることを、しみじみ思った」と書かれています。
私は多くの信仰の先達の祈りと働きを覚えて「和解の福音」、「多文化共生社会」をめざし、共に生きる働きを大切にし、「食卓を囲む」福音の恵みにあずかり、共に歩んでいきたいと願っております。
(在日大韓基督教会 川崎教会牧師)